2011年12月15日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(成就院)




鎌倉観音第21番札所成就院。

江ノ電極楽寺駅から少し戻ると極楽寺坂切通しとなる。この坂を2~3分行くと右手に石段が見え上っていくと当寺の山門(現在、改修中)。山門を潜り、正面に本堂。残念ながら本尊は非公開のため昇殿はできなかった。本堂正面のガラス扉が少し開いており中が見えるようになっているが本尊の前は暗く、遠いこともあってはっきり見えなかったのが残念である。

代わりに、本堂に安置されている仏様(身代わり不動)の分身が境内の一角に安置されていた。ここで、改めて合掌。分身前護摩壇で護摩木を焚き成就を祈念。また、お子様に負担をかけたくない方や後継者のない方などご縁の薄い方々のための五輪塔が建立されている。
小さいながらまとまった境内は、木々が茂り、水が打たれ静寂感が漂い身が引き締まる思いがした。

本堂に向かって左手に御朱印受付がある。御朱印をいただき山門を出て右手の石段(108段)を下り始めると目の先には由比ガ浜の眺望が目に入る。秋晴れの暖かい日であったこともあってこの眺めに一時我を忘れた。なお、この石段の両側にはアジサイが植栽されている。

お寺の話では、両側のアジサイは般若心経の字数と同じ262株あるそうで、元弘の乱戦没者供養のために植えてあるとのこと。
咲き誇るアジサイと由比ガ浜の眺めは見事との事。この季節に改めてお参りしたいお寺。

当寺は弘法大師が護摩供養を行なった当地に、承久元年(1219年)北条泰時が願いを込め本尊に縁結びの仏様、不動明王を祀り建立したものである。1333年鎌倉攻めの時に焼失したが元禄年中に復興され現在に至っている由。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ しおり

2011年12月6日火曜日

鎌倉33観音札所巡り(長谷寺)




鎌倉観音第4番札所長谷寺。

鎌倉観音第4番札所長谷寺は、江ノ電長谷駅から「鎌倉大仏」様に向かって歩いて行くとほどなく「長谷観音前」交差点となる。この交差点を左折するとすぐに山門の赤い提灯が目に飛び込んでくる。長谷駅からおよそ5分内外である。

山門左側にある入山受付で入山料300円を払って境内に入る。錦鯉が泳ぐ放生池を中心に、その回りには手入れの行き届いた庭がある。
お参りした日は11月でボケ、ロウバイ、マンサク、スイセン、椿、山茶花などが咲き誇り目を楽しませてくれた。春には桜、ツツジ、ボタン、サツキほか。夏にはアジサイ、花菖蒲、ユリ、イワタバコ、ムクゲほか。秋にはハギ、桔梗、秋明菊、十月桜、モミジほかが見られ四季を通して花が楽しめる。

正面、石段を上がると右手から地蔵堂、稲荷社、鐘楼があり阿弥陀堂、本堂(観音堂)、宝物館、大黒堂、経蔵が見られる。まことに壮大な感じで明るい雰囲気をもった感じである。

また、見晴台から眺望は由比ガ浜から相模湾が望まれ鎌倉随一とも賞されるようにすばらしい眺めであった。

阿弥陀堂に入ると像高2.8mの阿弥陀如来坐像が安置されている。右側には弥勒菩薩坐像、左側には勢至菩薩坐像が脇侍として安置。いずれも間近に拝観でき感激ひとしお。

本堂(観音堂)に入る。正面には金色に輝き十一面観世音菩薩立像が安置。入るなり「おーツ」と言う声が出て圧倒されてしまった。像高9.18mの我が国最大級の木彫仏である。
右手に錫杖、左手に蓮華を挿した花瓶を持っている、この様式は長谷寺式観音と呼ばれている由。

弁天堂の裏にある「弁天窟」に入った。ここには弘法大師が衆生の出世立身を祈願して造られた弁財天が祀られており、ほかに弁財天の従者として十六童子が窟の壁面へ彫刻されている。
窟内はほの暗く、一部背をかがめて歩く所もあるが壁面にはロウソクがともりお参りし易かった。

内部に書架を備える経蔵は、書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られると言われているが現在は、観音御縁日(毎月18日)及び正月3ガ日のみ回すことできると制限されています。

当寺は正式な名称を「海光山慈照院長谷寺」と号し、その開創は天平8年(736年)といわれ鎌倉有数の古刹。開山は徳道上人、開基は藤原鎌足の孫の藤原房前。

本尊である十一面観世音菩薩は養老5年(721年)に徳道上人の本願によって、一本の楠の霊木から刻出された二体の観音像のうちの一つといわれ、開眼供養の導師を務めた行基菩薩によって衆生済度の願が込められ海中に投じられた。その後、現在の横須賀市長井に流れ着いた尊像は鎌倉に遷座され、当山創建の礎となった由。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 長谷寺パンフレット

2011年11月24日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(寿福寺)


鎌倉観音第24番札所寿福寺。

鎌倉観音第24番札所寿福寺は、JR横須賀線鎌倉駅から今大路を北鎌倉方面に徒歩10分内外の武蔵大路と交わる一画にあり、うっそうと茂る樹木に囲まれて建つ当寺は、さすが鎌倉五山第三位の風格あるお寺である。右隣は尼寺の英勝寺である。

参道両側には背の高い木々が建ち並んでいる。真ん中の一直線に伸びている石畳を進むと総門。その先には仏殿が見られるが中に入って拝観はできない(境内は国の史跡に指定)のが残念である。このため、中門から入り梅の古木、庭の花々などを眺めながら庫裏に行き、御朱印を書いていただく。

物殿前には市指定天然記念物となっている柏槇の古木が見られる。

住職のお話では、台風12号(風台風)の影響で雨が少なかったため葉っぱについた塩が
落ちず梅の古木やイチョウなどの葉が枯れてしまったとのこと。せっかくの庭の風情も今年から来春にかけては期待ができない模様。

仏殿は江戸時代の再建で、本尊は脱活乾漆造の宝冠釈迦如来坐像。籠で作って、その上に漆を塗った乾漆像であるため籠釈迦とも言われている。脇侍に文殊菩薩坐像・普賢菩薩坐像を従えている。


源頼朝が亡くなった翌年、正治2年(1200年)に北条政子が夫源頼朝と義朝の霊を弔うために創建。開山は日本にお茶を紹介した明庵栄西。また、栄西は鎌倉幕府の帰依を受けた最初の禅僧で、臨済禅を初めて我国に伝えたことでも有名。

裏の墓地には北条政子のその子源実朝の墓といわれるやぐら(中世の横穴墳墓)がある。
また、同墓地には俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎が眠っている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)

鎌倉33観音札所巡り(高徳院)




鎌倉観音第23番札所高徳院。

鎌倉観音第23番札所高徳院は、江ノ電長谷駅から山に向かって緩やかな登り道、左右にはお土産物店が軒を並べている道を徒歩10分内外行くと「鎌倉大佛」と書かれた大きな石柱がある。

道路左側には慶安4年(1651年)銘の石地蔵と四方仏を刻んだ笠塔婆三基の庚申塔。朱塗りの仁王門を入り、中門左脇の拝観者入口で200円を払って境内に入ると国宝の銅製大仏様が目に入る。びっくり・・・・。

ここ高徳院は「鎌倉大佛」で親しまれているお寺である。

「鎌倉大佛」の本名は「阿弥陀如来像」で鎌倉市内唯一の国宝に指定されている。
銅製阿弥陀如来坐像は、1252年(建長4年)から10年前後の歳月をかけて造立されたと言われている。制作には、僧浄光が勧進した浄財が当てられた模様だが原型作者も含め創建に係わる事情の多くは謎に包まれている。

尊像を収めていた仏殿は1334年(建武元年)と1369年(応安2年)の大風で損壊、以降、仏殿が再建されず今日に至っている。

因みに、台座を含む総高約13.4m、仏身高約11.3m、重量約121tの銅製。
親指と人差し指をつけ両手を組合せ膝の上に乗せている、所謂「上品上生」と呼ばれる印の結び方をされている。

境内の奥に行くと木々が茂り、大仏様おられる表側とはまったく違った趣である。観音堂(李子朝鮮の王宮内の月宮殿を移築したもの)や与謝野晶子の歌碑(「かまくらやみほとけなれば釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」)があり訪れる人も少なく静かな雰囲気を醸し出している。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 参拝券しおり

2011年11月10日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(海蔵寺)




鎌倉観音第26番札所海蔵寺。

鎌倉観音第26番札所海蔵寺は、建長寺門前から見える「長寿寺」脇の亀ヶ谷坂切通を通り向け、「薬王院」「岩船地蔵尊」を右に見てJR横須賀線を渡り右折。ここからおよそ5分内外、扇ヶ谷の北、風光明媚な谷間にひっそりと佇んでいる。

正面の山門手前右に「底脱の井」という小さな井戸がある。この井戸は、金沢顕時の室、尼となり無著禅尼の号し仏光禅師に参禅。無著禅尼の悟り歌「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらじ」より名付けられたもので鎌倉十井の一つ(海蔵寺略縁記より)。

石段を昇ると山門、境内を入った正面に十一面観音像が祀られている本堂。周囲は緑に囲まれており静寂そのもの。庭にはあちこちに桔梗が咲き誇っている。少し前までは萩が咲いていたとのこと。

本堂右には天明5年(1785年)に建てられたといわれる庫裏。ここにも小さな花が咲き、訪れてくる人の目を楽しめてくれる。御朱印はここでいただく。

この寺には、境内南の隅の岩窟中にある鎌倉時代に掘られたと伝わる十六井戸があり、今でも水が湧いているとのこと。再び、海蔵寺略縁記によれば、窟の中央に石造りの観音菩薩像を祀り、その下方に弘法大師像を安置。井戸の名は窟底に径70㌢、深40~50㌢くらいの井戸十六穴がおのおの清冽な水をたたえているのに因んで「十六井戸」と呼ばれている。

当寺は文治4年(1188年)、足利義兼が創建。当時は「極楽寺」と称した。開山は退耕行勇律師で、密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然が4代住職となったのを機に臨済宗に改め、寺名も「浄妙寺」となった。寺名を改称したのは正嘉年間(1257年~1259年)とのこと。

本堂と庫裏の背後には禅宗風の庭園がある。禅寺で最も禅宗らしく感じられる庭園だと言われているが残念のことに中に入ることができなかった。

建長5年(1253年)宗尊親王の命によって従五位前能州大守藤原仲能が本願主となり、この地に七堂伽藍が再建された。しかし、元弘3年(1333年)鎌倉幕府滅亡の折に烏有に帰した後、応永元年(1394年)4月、鎌倉御所足利氏満の命により上杉氏定が源翁禅師(心昭空外)を開山に招いて再建。臨済宗建長寺派として今日に至っている。

本堂には十一面観音像、仏殿(薬師堂)には薬師三尊像が祀られている。
薬師如来像は別名「啼薬師」「児護(コモリ)薬師」とも言われている。胎内には土中から発掘されたという古い仏面を納めている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 海蔵寺略縁記

2011年10月30日日曜日

鎌倉33観音札所巡り(延命寺)



鎌倉第11番札所延命寺

鎌倉駅から若宮大路に出て、JR横須賀線のガードをくぐってすぐの信号を右折。滑川のにかかっている橋を渡った左側に延命寺がある。駅から徒歩5分内外の一角で、ここにこんなお寺があるのかという感じである。

道路脇にある山門の先に本堂があり、左側に庫裡の入り口。ここで、ご朱印をお願い。快く対応していただいた。
本堂の前に扉が30センチほど開いておりここから、奥に安置されている本尊の阿弥陀如来を拝観。本堂内の拝観は事前の予約が必要とのこと。

本尊の阿弥陀如来のほか聖観音、地蔵菩薩が祀られている。本尊「阿弥陀如来像」は、圓應寺の閻魔大王を作ったあまりの木で作られたことから「木あまりの像」、また、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれている。

地蔵菩薩は別名、身代わり地蔵と言われている。
この謂れは、鎌倉市のホームページによれば 鎌倉時代の執権北条時頼の夫人が建てたと伝えられている運慶作の「地蔵菩薩像」は双六(すごろく)の勝負で旗色の悪かった夫人を救っと言われています。夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。裸形彫刻で普段は袈裟を纏っている。

当寺は、専蓮社昌誉能公上人(せんれんじゃしょうよ のうこうしょうにん)を開山としている。

また、本堂裏手墓地に「古狸塚」という碑がある。
江戸時代の終わりごろ、この寺に住みついた狸がよく人に慣れており、酒好きな和尚のために酒を買いに行ったりして可愛がられていたといいます。狸が死ぬと葬って碑をたて供養したと伝えられており、狸の墓というのは珍しいものです。
(鎌倉市ホームページより)

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫、発行所:かまくら春秋社)


徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年10月19日水曜日

鎌倉33観音札所巡り(教恩寺)




鎌倉第12番札所教恩寺

鎌倉駅東口から若宮大路に出て右折。そのまま横須賀線のガードをくぐり大町四つ角交差点で左折。最初の信号を左に入った住宅地の一画にひっそりとたたずんでいる小さなお寺である。

山門の欄間には小さいながら細部まできっちりと彫られた16羅漢が迎えてくれる。

本堂脇の庫裏のインターフォンで御朱印をお願いしたところ住職夫人が快諾。夫人によれば台風12号による塩害の影響で境内のモミジ・イチョウ・マツの葉が枯れてしまい「今年の紅葉はダメになりました」とのこと。
本堂手前にあるモミジは木全体が茶色になっており、葉は縮れて見るも無残な姿となっている。

夫人の案内で本堂に昇殿。正面に本尊の阿弥陀如来像、本尊の右脇侍には聖観世音像が祀られている。
本尊の阿弥陀如来像はおよそ800年前の運慶作と言われ、玉眼を有している。見た目でははっきりわからないが本堂壁に貼られている写真で眼が輝いているのが判る。

なお、この阿弥陀如来像は平清盛の子、平重衡が捕らわれの身となった際、源頼朝が平家一族の冥福を祈るために重衡に与えたものと伝えられている。

当寺は、延宝6年(1678年)、貴誉上人によって当地に移築されたものである。もともとは、光明寺境内に建てられていた同寺の末寺「善昌寺」が廃寺になったのを機に移されたものと聞かれる。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫、発行所:かまくら春秋社)


徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年9月26日月曜日

閑話休題(総帆展帆)




旧横浜船渠第一号ドック(横浜みなとみらい21地区:国指定重要文化財)に浮かぶ帆船日本丸の総帆展帆
総帆展帆とは、全ての帆をひろげることをいいます(写真下段)(普段は閉じています:写真上段)。

現在の日本丸の帆(セイル)は全部で29枚あります。すべて手作業でひろげています(写真中段)。この作業は訓練を終えて登録されているボランティアの方々の協力で行っています。約2,000人あまりの方が登録されていますが、総帆を展帆するためにその中から毎回100人ほどのボランティアの方々に参加いただいております。

平成23年9月25日(日)
 展帆 10:30~11:30 
 畳帆 15:00~16:00

日本丸(にっぽんまる)は、1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水した、日本の航海練習船で大型練習帆船。その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれている。日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年(昭和59年)に引退した。航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。姉妹船として海王丸がある。(参考:Wikipedia)
船種(帆装型式) - 4檣バーク型帆船
総トン数 - 2278トン
全長 - 97 m
全幅 - 13 m
メインマスト高 - 46 m(水面からの高さ)
吃水 - 5.3 m(平均)
総帆数 - 29枚
定員 - 138名

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/     

2011年9月18日日曜日

閑話休題(流鏑馬神事)




平成23年9月16日、鶴岡八幡宮例大祭における流鏑馬神事。三人の射手の馬上姿。

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

鎌倉33観音札所巡り(浄妙寺)




鎌倉第9番札所浄妙寺。

鎌倉第9番札所浄妙寺は、鶴岡八幡宮から金沢街道を徒歩7~8分にある「岐れ道」交差点を右折、直進すること10分内外。バス停「浄明寺」から左折してすぐの住宅地の一角にある。
ここまで来ると秋の強い日差しや喧騒さはなく、まさに静寂そのもの。

道路から数段登った山門から入る。その正面には鎌倉五山の一つと言われる落ち着いた構えの銅葺屋根をいただいた本堂が目に入る。本堂まで伸びている石畳の左右は手入れの行き届いた庭のあちこちには白い花を咲かせた秋明菊が咲き誇っている。

本堂左手には「喜泉庵」という茶席がる。かって僧達が会してお茶を喫したという庵を復元したもので、現在では枯山水の庭園を見ながら抹茶がいただける。

また、本堂裏手は墓地。この一画に足利尊氏の父貞氏の墓と伝わる宝篋印塔がある。

当寺は文治4年(1188年)、足利義兼が創建。当時は「極楽寺」と称した。開山は退耕行勇律師で、密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然が4代住職となったのを機に臨済宗に改め、寺名も「浄妙寺」となった。寺名を改称したのは正嘉年間(1257年~1259年)とのこと。

至徳3年(1386年)足利義満が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭23院を数えたが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫裏などで伽藍を形成している。境内は国指定史跡。
徳川家から庇護を受け、多くの高徳が住職をされました。本尊「釈迦如来」。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 浄妙寺略記

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年7月16日土曜日

鎌倉33観音札所巡り(安養院)




鎌倉第3番札所安養院。

大町四つ角からバス通りを徒歩6~7分、別願寺を通り越した左側につつじの生垣が見える。ここがつつじで有名な安養院。参詣した日はつつじの花期が過ぎたため花を見ることができなかったのが残念。

階段を上って山門をくぐり真っ直ぐ行った所が本堂。ここには木造阿弥陀如来坐像と千手観音立像が本尊として祀られている。
バス通りに面しているとは思えないほど静かな雰囲気で心が休まるお寺である。

嘉禄元年(1225年)、北条政子が源頼朝の菩提を弔うために建立した長楽寺を前身とする由。開山は良弁尊観、開基は北条政子。
元弘3年(1333年)、焼失。現在地に移転して再興。北条政子の法名である安養院を寺名に改めた。

境内には、政子の墓(供養塔)の宝篋院塔がある。また、本堂裏には鎌倉に現存する年紀銘のある宝篋院塔では最古といわれる安山岩製の宝篋院塔(国重文)がある。
また、境内の一隅には尊観上人お手植えの樹齢700年といわれる槙の古木(横浜市天然記念物)がある。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫、発行所:かまくら春秋社)


徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

鎌倉33観音札所巡り(別願寺)



鎌倉第13番札所別願寺。

鎌倉駅東口から大町四つ角を左折するとバス通りに出る。この道を5~6分歩いた左側に別願寺がある。一見して古い家の感じであるが門柱(石柱)を入った左側に墓地が見られることからお寺と確認できる程度である。

当寺は、当初真言宗のお寺であったが弘安5年(1282年)に当時の住職であった公忍が一遍上人に帰依したのを期に、時宗に改宗。同時に公忍が開山となり室町時代には足利基氏、氏満、満兼の菩提寺として栄えた。

境内には足利持氏の供養塔(高さ約3m)とされる石造宝塔がある。塔身の四方に鳥居形の四門を浮彫りにした珍しいものと言われている。

本尊は、阿弥陀如来立像で、ほかに魚籃観音が安置されている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫、発行所:かまくら春秋社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年7月11日月曜日

鎌倉33観音札所巡り(瑞泉寺)




鎌倉第6番札所瑞泉寺は、鶴岡八幡宮から金沢街道を徒歩7~8分、「岐れ道」交差点を左折、直進すること5分内外で鎌倉宮の大鳥居にぶつかる。この鎌倉宮の境内を左にみて
徒歩5分内外。住宅地が途切れるあたりに山門が現れる。

ここまで来ると夏の強い日差しや喧騒さはなく、まさに静寂そのもの。頭の上ではウグイスがすばらしい声でさえずっている。

山門から右左の木々を見ながら石段を歩くこと数百メートル、境内へ上がっていく男坂と女坂がある。男坂(30段内外)に挑戦。小さな土塀に囲まれた門を入るとそこは、野趣溢れる庭園が広がっている。

紅梅・黄梅の老木を中心にスイセン・各種アジサイのほか低木の木々、草花がたくさん見られる。別名「花の寺」とも呼ばれる寺。納得・・・。

紅葉ヶ丘を囲む三方の山に抱かれた本堂脇「名勝瑞泉寺庭園」がある。岩盤を彫刻的な手法によって作庭したことから「岩庭」とも呼ばれており鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園である。

当寺は嘉暦2年(1327年)、夢窓国師が創建。本尊は千手観音像。翌年、本堂脇に庭園「一覧亭」を造営。臨済宗円覚寺派。

鎌倉公方足利家4代の菩提所で、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の首位に列せられ、塔頭の数十余が知られている。江戸時代には徳川家から庇護を受け、多くの高徳が住職をされました。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年7月8日金曜日

鎌倉33観音札所巡り(宝戒寺)




鎌倉第2番札所宝戒寺は、鶴岡八幡宮三の鳥居前、向かって右側の道から徒歩5分内外。小町大路とのT字路際に建っている。
この小町大路は、鎌倉時代のメイン通りであった由。いまでも山門前の通りは車の往来が激しいところ。

「萩の寺」として有名だが、参詣した日が夏日の真っ最中ということで参道の両脇は青々と茂った葉で一杯。これもまた心が落ち着く雰囲気でホッとする感じ。
本堂はそれほど広くないが風の通りが良く、心地よい気持ちになる。

拝観料100円で本堂内裏に安置されている本尊子育経読地蔵尊(国重文)、准胝観音菩薩、歓喜天像(国重文)、不動明王像、閻魔像のほか梵天、帝釈天などが身近で拝観できる。

建武2年(1335年)、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、新田義貞によって滅びた北条一族を弔うために北条屋敷跡に建立したもので天台宗を宗旨としている。

萩の見ごろは9月頃と聞かれるので改めて訪問したいお寺。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 
徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年7月3日日曜日

鎌倉33観音札所巡り(来迎寺(西御門))



鎌倉第5番札所来迎寺(西御門)

鶴岡八幡宮から金沢街道を十二社方面に徒歩5分内外、左折して西御門の閑静な住宅地を徒歩7~8分の山間の一角。
道路脇に案内板があり、その脇の石段を登ったところに本堂がある。広々とした一画に墓石が整然と並び、その一画に平成6年新築された本堂がある。

普段、本堂は閉じられている。「御朱印の方は下の建物で・・・」という札がぶら下がっていたので本堂礼拝後、あらためて訪問。応対に出られた奥様に御朱印をお願いした。
やさしい筆使いで書かれた御朱印を見るとフッと安らぎを感じる思い。

当寺は正応元年(1293年)、一向上人によって開山された時宗。本尊は阿弥陀如坐像
と、南北朝時代の仏師・宅間浄宏の作と伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。
本堂脇の如意輪観音像は「土紋」の装飾が鮮やかです。厄除けと安産に御利益があるとされます。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

鎌倉33観音札所巡り(報国寺)




鎌倉33観音第10番札所「報国寺」。

明王院から金沢街道を鶴岡八幡宮方向に帰る途中、およそ5分内外。
右手に浄明寺の参道、左手の「華の橋」を渡って3分内外。「報国寺」の山門が見えた。

「報国寺」は別名「竹寺」で有名。このため、若い男女のカップルや年配の女性が賑わっておりちょっと雰囲気の違う感じであった。
しかし、山門を一歩入ると水を打った庭には苔が青々と茂っており、「墨田の花火」「黒姫」「アナベル」「エンドレスサマー」等などのアジサイ類が咲き誇っている。

表通りの喧騒さがうそのようである。

正面、建物で御朱印をお願い。この間、「竹庭」に入園(入園料200円)。真っ直ぐに伸びた孟宗竹の間をゆっくりと散策。手入れの行き届いた小径を天を仰ぎながら竹の葉を聞きつつ時の流れを忘れる思い。
庭内には六地蔵や石灯籠が配置されており、奥にはお茶席があって抹茶と季節のお菓子(セットで500円)が提供されている。

秋には竹の青さと紅葉のコントラストが見事とのこと。再び、訪れたいお寺である。

建武元年(1334年)に創建。臨済宗・建長寺派の禅宗寺院である。
開山は天岸慧広(仏乗禅師)、開基は足利家時(足利尊氏の祖父)。足利家並びに上杉家代々の菩提寺となった。本尊は釈迦如来坐像

次回は、第5番札所「来迎寺(西御門)です。お楽しみを・・・

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年7月1日金曜日

鎌倉33観音札所巡り(明王院)


第1日目の3番目は第8番札所の明王院(みょうおういん)です。
光触寺から金沢街道を鶴岡八幡宮方面に徒歩15分内外。同街道から一歩入った住宅地の一画にある。
冠木門を入ると、こじんまりした日本庭園は手入れが行き届き、一瞬、時を忘れる思いである。

正面には茅葺屋根の本堂(本尊は拝観不可)、向かって左にある建物で御朱印をお願いした。

寛喜3年(1231年)、鎌倉幕府の4代将軍藤原頼経が、将軍祈願寺として建立。
幕府の鬼門の方角にあたるため鬼門除け祈願寺として五大明王を祀られていることから「五大堂」とも言われている。

本尊は不動明王。なお、御朱印の本尊名は十一面観世音。
次回は第10番札所の報国寺(ほうこくじ)。

【参考資料】

 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

鎌倉33観音札所巡り(光触寺)


第1日目の2番目は第7番札所光触寺(こうそくじ)

杉本寺から金沢街道を東へ徒歩20分内外、バス停十二社から一歩脇に入った一画にひっそりとたたずんでいる時宗のお寺。
山門を入って10mぐらいでしょうか一遍上人(時宗の祖)の石像が目に入った。
周囲は低木の木々やアジサイなどが植栽されており静寂感で身が引き締まる。

正面本堂脇にあるインターフォンで来意を告げると本堂の木の扉が開き、和尚さんが現れた。
御朱印のお願いをしている間、本堂前で待つ。しばらくしてお経の声と鐘の音が聞こえた思うと和尚さんが三方に御朱印帳を乗せて再び現れた。

感謝感激の思いでお礼を述べて帰る。

本尊は運慶作の阿弥陀三尊で別名頬焼阿弥陀を中心に左に観音菩薩、右に勢至菩薩が本堂に安置されている。
なお、本尊拝観は10時~16時で予約が必要とのこと。
次回は第8番目札所明王院(みょうおういん)。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年6月29日水曜日

鎌倉33観音札所巡り(杉本寺)~発願



さあ!!! 今日(28日)からいよいよ札所巡りがスタート。
天気晴朗・・・、気分爽快・・・

まず、発願となる第1番札所杉本寺を参詣。
鶴岡八幡宮から徒歩20分内外。

細い石段を登り、山門を潜ると古色蒼然たる苔の石段(写真参照)。
この脇の石段を登りきると茅葺屋根のお堂が建っている(写真参照)。

一瞬、気が引き締まる思い。まずは、雑念払拭し家内安全を祈願。

天平6年(734年)、行基が開いた鎌倉最古の寺と言われている。
十一面観音像が立ち、背後にも3体の十一面観音像(本尊)が安置されている。
拝観料200円を払うとこれらの仏像が拝観できる。

なお、毎月18日は護摩供養が行なわれ本尊を近くで拝観できるとのこと。
御朱印帳を買い、さっそく御朱印をいただく。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com

【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/

2011年6月9日木曜日

北鎌倉の古寺散歩


今日(平成23年6月9日)、妻と二人で北鎌倉の古寺散歩と洒落込みました。
自宅マンション前、朝8時34分発のバス便でおよそ40分。
まず、東慶寺に参詣。境内にある草花、中でも岩肌に可憐な紫の小さな花が咲き始めている「岩タバコ」。
その隣には大きく広がった枝に白い花を咲かせている「ヤマボウシ」。そして、竹林。
午前11時からは本堂裏で特別公開の「岩がらみ」(写真参照)。一本の幹から岩肌に幅3~4m、長さ10~11mに伸びた枝葉のところどころに小さな白い房状の花が咲いていた。ここで過ごした1時間半は心身のリフレッシュとなった。
次いで、浄智寺により御朱印をいただく。続いてアジサイで有名な明月院に行く。
時期的に早かったためアジサイの開花は未だ3~4分程度。東屋で一服、北鎌倉駅前の「光泉」で買ったいなり寿司を食べながら樹木を通ってくる風に心を癒させる。
明月院に近いバス停から午後2時34分のバスで帰宅。

徒然人(つれづれびと):樋上祐造
  神奈川県横浜市港南区日野9-1-17-208 
  携帯電話:090-8841-9368
  メールアドレス:phm89371@gmail.com
【追伸】
よろしければ以下のサイトを覗いてみてください。
こんなことをやっております。
↓↓↓↓↓
『非加熱ミネラルウォーター「奥長良川の秘水」』
    http://phm893711.blogspot.com/