2011年11月10日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(海蔵寺)




鎌倉観音第26番札所海蔵寺。

鎌倉観音第26番札所海蔵寺は、建長寺門前から見える「長寿寺」脇の亀ヶ谷坂切通を通り向け、「薬王院」「岩船地蔵尊」を右に見てJR横須賀線を渡り右折。ここからおよそ5分内外、扇ヶ谷の北、風光明媚な谷間にひっそりと佇んでいる。

正面の山門手前右に「底脱の井」という小さな井戸がある。この井戸は、金沢顕時の室、尼となり無著禅尼の号し仏光禅師に参禅。無著禅尼の悟り歌「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらじ」より名付けられたもので鎌倉十井の一つ(海蔵寺略縁記より)。

石段を昇ると山門、境内を入った正面に十一面観音像が祀られている本堂。周囲は緑に囲まれており静寂そのもの。庭にはあちこちに桔梗が咲き誇っている。少し前までは萩が咲いていたとのこと。

本堂右には天明5年(1785年)に建てられたといわれる庫裏。ここにも小さな花が咲き、訪れてくる人の目を楽しめてくれる。御朱印はここでいただく。

この寺には、境内南の隅の岩窟中にある鎌倉時代に掘られたと伝わる十六井戸があり、今でも水が湧いているとのこと。再び、海蔵寺略縁記によれば、窟の中央に石造りの観音菩薩像を祀り、その下方に弘法大師像を安置。井戸の名は窟底に径70㌢、深40~50㌢くらいの井戸十六穴がおのおの清冽な水をたたえているのに因んで「十六井戸」と呼ばれている。

当寺は文治4年(1188年)、足利義兼が創建。当時は「極楽寺」と称した。開山は退耕行勇律師で、密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然が4代住職となったのを機に臨済宗に改め、寺名も「浄妙寺」となった。寺名を改称したのは正嘉年間(1257年~1259年)とのこと。

本堂と庫裏の背後には禅宗風の庭園がある。禅寺で最も禅宗らしく感じられる庭園だと言われているが残念のことに中に入ることができなかった。

建長5年(1253年)宗尊親王の命によって従五位前能州大守藤原仲能が本願主となり、この地に七堂伽藍が再建された。しかし、元弘3年(1333年)鎌倉幕府滅亡の折に烏有に帰した後、応永元年(1394年)4月、鎌倉御所足利氏満の命により上杉氏定が源翁禅師(心昭空外)を開山に招いて再建。臨済宗建長寺派として今日に至っている。

本堂には十一面観音像、仏殿(薬師堂)には薬師三尊像が祀られている。
薬師如来像は別名「啼薬師」「児護(コモリ)薬師」とも言われている。胎内には土中から発掘されたという古い仏面を納めている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 海蔵寺略縁記

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