2012年12月22日土曜日

鎌倉33観音巡り(東慶寺)

鎌倉33観音第32番札所東慶寺


JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に、徒歩3分内外の街道右側に石柱が見られる。ちょっと余所見をしていると見過ごしてしまいそうな感じである。正面入口を入ってすぐの石段を上って行くと茅葺きの山門。


  綺麗に手入れが行き届いた庭を眺めながらしばらく歩くと右手に「泰平殿」という仏殿(本堂)。昇殿はできず本尊(寄木造り玉眼入り釈迦如来坐像)を拝むことができなかったのが残念である。


この左手隣には水月堂があり木造水月観音菩薩半躓像(県重文)が安置されているが事前予約が必要ということで今回は拝観できなかった。次回、時間を見計らってぜひ拝観したい仏様と思っている。
なお、この仏様は水面に映る月を眺める姿を表しているところから水月観音と呼ばれている。14世紀南北朝時代の作。

6月頃に咲く「岩がらみ」は圧巻である。

また、珍しい「八重ドクダミ」も見逃せない花である。ほかに、スイセン、ロウバイ、梅、椿、花桃、白モクレン、桜、ユキヤナギ、ボタン、花菖蒲、アジサイ、イワタバコ、桔梗等などが見られ鎌倉屈指の花の寺でも有名。

御朱印は宝物殿(木造聖観音菩薩立像や初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱などが展示されている)で頂く。
非常にやさしい墨跡で心が和む感じがする。

当寺は弘安8年(1285年)、北条時宗夫人覚山尼を開山とし開創。五世後醍醐天皇皇女用堂尼以来松ヶ丘御所と称されて寺格の高いお寺となった。室町時代には鎌倉尼五山第二位に列することになる。

二十世は豊臣秀頼息女天秀尼(祖父:豊臣秀吉、曽祖母:浅井長政夫人お市)、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駆込寺または縁切寺として多くの女人を救済した。今は、前円覚寺管長釈宗演禅師を中興開山とする男僧寺である。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ 
   社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝

リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」


2012年12月3日月曜日

鎌倉33観音巡り(浄智寺)

鎌倉33観音第31番札所浄智寺
鎌倉五山第四位のお寺である。

JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に徒歩5分内外のバス停「明月院」の角に石柱が見られる。これを見て、右折。しばらく歩くと石橋があり、古びた石段の先に寺の門が見える。
まず、石橋を渡って総門(無学祖元の書で「寶所在近」の扁額あり)をくぐり、磨り減った鎌倉石の石段を上がったところに受付。さらに進むと2階に鐘をさげた山門(鐘楼門)がある。
門をくぐると右手に本尊阿弥陀三尊像(向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒各如来)を祀っている曇華殿(仏殿)がド~ンと現れる。








曇華殿を右手に回って仏殿の背面の一部に木造観音菩薩立像(南北朝時代の作)がある。
小さい仏様だが神々しく思わず手を合わせてし
まう仏様である。


この脇にあるコウヤマキの大木(鎌倉第一の巨木)を左手に眺めながら裏庭(今、秋明菊の赤が色鮮やな花を咲かせている)を一巡。

この先の小さなトンネルを抜けると弥勒菩薩の化身といわれる「布袋尊」が祀られている。この布袋尊のお腹をさすると「元気がもらえる」とのこと。私も念入りにお腹をさすって来ました。
さらに進むと方丈・客殿となっている。ここで御朱印を頂く。







鎌倉では「谷戸」と呼ぶ谷合に堂宇を建てたため竹や杉の多い境内は長い歴史をもった禅刹にふさわしい閑寂な佇まいを保っていると言われている。さすがに鎌倉第四位のお寺。心休まるお寺、春になったら再び訪れたいお寺である。
資料によると、弘安4年(1281年)8月に29歳で没した北条宗政(北条時頼三男)の菩提を弔うため宗政夫人が一族の助力を得て寺を起こし、宗政と幼少の遺児師時を開基としたと伝えられている。開山は中国僧元庵普寧と仏源禅師大休正念及び日本僧貞応禅師南洲宏海の三名が名を連ねているとのこと。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音巡り(明月院)

鎌倉33観音第30番札所明月院
JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に、途中横須賀線を渡ってすぐ左折。小川沿いにしばらく歩くと正面に石柱が見られる。駅からおよそ10分内外。
正面入口を入ると総門。ここが受付、拝観料を払って中に入ると目の前に鎌倉石の参道が続いている。
紫陽花の季節には、この石段の両側が色とりどりのアジサイの花で参詣の人達を楽しませてくれます。
さて、参道を上がり山門をくぐると正面に本堂が現れる。御朱印は本堂右手の受付で頂く。 墨跡鮮やで威風堂々たる御朱印、心打たれる御朱印である。
本堂を右手に見て、進むと開山堂。また、本堂前には須弥山をかたどり仏教観を表現しているといわれている枯山水の名園がある。

広い境内のあちこちでは季節に応じた花々が咲き楽しませてくれています。今では秋明菊やホトトギス、ススキが見られる。また、一部、紅葉も見られ秋の気配も楽しめるお寺である。




寺伝によれば、永暦元年(1160年)、この地の住人首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内經俊によって創建。その後、康元元年(1256年)、北条時頼公によって、この地に「最明寺」を建立。後に北条時宗(時頼の子)が最明寺を前身として「福源山禅興仰聖禅寺」を再興。開山は建長寺開山大覚禅師の五世法孫の位置にあった密室守厳禅師。皇暦2年(1380年)、執権足利義満が管領上杉憲方に禅興寺の中興を命じ塔頭の一つに「明月庵」が建てられた。明治初年禅興寺は廃寺となり「明月庵」は「明月院」に改められ現在に至る。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」