2012年12月22日土曜日

鎌倉33観音巡り(東慶寺)

鎌倉33観音第32番札所東慶寺


JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に、徒歩3分内外の街道右側に石柱が見られる。ちょっと余所見をしていると見過ごしてしまいそうな感じである。正面入口を入ってすぐの石段を上って行くと茅葺きの山門。


  綺麗に手入れが行き届いた庭を眺めながらしばらく歩くと右手に「泰平殿」という仏殿(本堂)。昇殿はできず本尊(寄木造り玉眼入り釈迦如来坐像)を拝むことができなかったのが残念である。


この左手隣には水月堂があり木造水月観音菩薩半躓像(県重文)が安置されているが事前予約が必要ということで今回は拝観できなかった。次回、時間を見計らってぜひ拝観したい仏様と思っている。
なお、この仏様は水面に映る月を眺める姿を表しているところから水月観音と呼ばれている。14世紀南北朝時代の作。

6月頃に咲く「岩がらみ」は圧巻である。

また、珍しい「八重ドクダミ」も見逃せない花である。ほかに、スイセン、ロウバイ、梅、椿、花桃、白モクレン、桜、ユキヤナギ、ボタン、花菖蒲、アジサイ、イワタバコ、桔梗等などが見られ鎌倉屈指の花の寺でも有名。

御朱印は宝物殿(木造聖観音菩薩立像や初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱などが展示されている)で頂く。
非常にやさしい墨跡で心が和む感じがする。

当寺は弘安8年(1285年)、北条時宗夫人覚山尼を開山とし開創。五世後醍醐天皇皇女用堂尼以来松ヶ丘御所と称されて寺格の高いお寺となった。室町時代には鎌倉尼五山第二位に列することになる。

二十世は豊臣秀頼息女天秀尼(祖父:豊臣秀吉、曽祖母:浅井長政夫人お市)、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駆込寺または縁切寺として多くの女人を救済した。今は、前円覚寺管長釈宗演禅師を中興開山とする男僧寺である。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ 
   社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝

リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」


2012年12月3日月曜日

鎌倉33観音巡り(浄智寺)

鎌倉33観音第31番札所浄智寺
鎌倉五山第四位のお寺である。

JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に徒歩5分内外のバス停「明月院」の角に石柱が見られる。これを見て、右折。しばらく歩くと石橋があり、古びた石段の先に寺の門が見える。
まず、石橋を渡って総門(無学祖元の書で「寶所在近」の扁額あり)をくぐり、磨り減った鎌倉石の石段を上がったところに受付。さらに進むと2階に鐘をさげた山門(鐘楼門)がある。
門をくぐると右手に本尊阿弥陀三尊像(向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒各如来)を祀っている曇華殿(仏殿)がド~ンと現れる。








曇華殿を右手に回って仏殿の背面の一部に木造観音菩薩立像(南北朝時代の作)がある。
小さい仏様だが神々しく思わず手を合わせてし
まう仏様である。


この脇にあるコウヤマキの大木(鎌倉第一の巨木)を左手に眺めながら裏庭(今、秋明菊の赤が色鮮やな花を咲かせている)を一巡。

この先の小さなトンネルを抜けると弥勒菩薩の化身といわれる「布袋尊」が祀られている。この布袋尊のお腹をさすると「元気がもらえる」とのこと。私も念入りにお腹をさすって来ました。
さらに進むと方丈・客殿となっている。ここで御朱印を頂く。







鎌倉では「谷戸」と呼ぶ谷合に堂宇を建てたため竹や杉の多い境内は長い歴史をもった禅刹にふさわしい閑寂な佇まいを保っていると言われている。さすがに鎌倉第四位のお寺。心休まるお寺、春になったら再び訪れたいお寺である。
資料によると、弘安4年(1281年)8月に29歳で没した北条宗政(北条時頼三男)の菩提を弔うため宗政夫人が一族の助力を得て寺を起こし、宗政と幼少の遺児師時を開基としたと伝えられている。開山は中国僧元庵普寧と仏源禅師大休正念及び日本僧貞応禅師南洲宏海の三名が名を連ねているとのこと。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音巡り(明月院)

鎌倉33観音第30番札所明月院
JR横須賀線北鎌倉駅から鎌倉街道を鶴ヶ岡八幡宮方向に、途中横須賀線を渡ってすぐ左折。小川沿いにしばらく歩くと正面に石柱が見られる。駅からおよそ10分内外。
正面入口を入ると総門。ここが受付、拝観料を払って中に入ると目の前に鎌倉石の参道が続いている。
紫陽花の季節には、この石段の両側が色とりどりのアジサイの花で参詣の人達を楽しませてくれます。
さて、参道を上がり山門をくぐると正面に本堂が現れる。御朱印は本堂右手の受付で頂く。 墨跡鮮やで威風堂々たる御朱印、心打たれる御朱印である。
本堂を右手に見て、進むと開山堂。また、本堂前には須弥山をかたどり仏教観を表現しているといわれている枯山水の名園がある。

広い境内のあちこちでは季節に応じた花々が咲き楽しませてくれています。今では秋明菊やホトトギス、ススキが見られる。また、一部、紅葉も見られ秋の気配も楽しめるお寺である。




寺伝によれば、永暦元年(1160年)、この地の住人首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内經俊によって創建。その後、康元元年(1256年)、北条時頼公によって、この地に「最明寺」を建立。後に北条時宗(時頼の子)が最明寺を前身として「福源山禅興仰聖禅寺」を再興。開山は建長寺開山大覚禅師の五世法孫の位置にあった密室守厳禅師。皇暦2年(1380年)、執権足利義満が管領上杉憲方に禅興寺の中興を命じ塔頭の一つに「明月庵」が建てられた。明治初年禅興寺は廃寺となり「明月庵」は「明月院」に改められ現在に至る。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

2012年10月31日水曜日

鎌倉33観音巡り(龍峰院)

鎌倉33観音第29番札所龍峰院
建長寺仏殿前を通って方丈の左側の道を上がっていくと宝珠院があり、その先にある石段を上がると山門が見られる。
ここが龍峰院である。
建長寺境内のかなり奥まった一角で、周りにはいくつかの塔頭があり樹木に囲まれた静かなところである。山門には竹の棒で通行できないようになっているが脇の通用口から入いることができる。

正面本堂脇玄関のインターフォンで来意を告げると御朱印が頂けた。
山門から本堂までの参道は両側からの竹の葉で静けさを漂わせている。夏でも涼しいだろう!!。
当寺は、徳治2年(1307年)に没した建長寺第15世住持約翁徳倹(仏燈国師)の塔所となった。 【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音巡り(妙高院)

鎌倉33観音第27番札所妙高院

建長寺総門から入って山門の右側に高い石垣に囲まれた建物(現在、工事中)が妙高院である。本堂脇の庫裏のインターフォンで来意を告げて御朱印をいただく。檀家のための寺院で本堂に上がることもできず、玄関前でのお願いにとどまった。 当寺は、貞和2年(1346年)に没した建長寺第28世住持肯山聞悟の塔所となった。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音巡り(建長寺)

鎌倉33観音第28番札所建長寺
鎌倉五山第一位のお寺。 JR横須賀線北鎌倉駅から鶴ヶ岡八幡宮方向に、東慶寺、浄智寺、明月院の横を歩きながらおよそ15分。バス通りに面した一角に威風堂々たる総門が現れる。 当寺は建長5年(1253年)11月、執権北条時頼を開基とし中国から招いた蘭渓道隆を開山として創建されたもので我が国最初の禅宗専門道場である。 まず総門を入ってすぐが受付。そして参道を少し行くと三門(安永4年(1775年)再建の重層門。
三門とは三解脱門の略。楼上には釈迦如来坐像、銅造五百羅漢像が安置)となる。
ここから仏殿の間の敷石両側には開山蘭渓道隆(後、大覚禅師)お手植えの柏槙の古木がある。 創建当時から750余年、今日もなお他を圧倒する姿を見せている。
仏殿(本尊:地蔵菩薩坐像、台座を入れると約4.8mの巨像、法衣垂下の宋風彫刻像) は寛永5年(1628年)に徳川二代将軍秀忠夫人の崇源院(お江の方)の霊廟として芝増上寺に建立されたものを正保4年(1647年)に移築されたもの。
仏殿の後ろには平成14年大修復された法堂(本尊:千手観音像、住持が説法する堂)が続いている。 大修復に際して法堂の天井に縦10m、横12mの水墨画「雲龍図」が加えられた。 また、平成24年7月には建長寺本山龍王殿に”龍王”図襖絵が奉納された。この龍図は北条時頼公750年忌を記念して水墨画家白波氏が描かれたものとのこと。 何回来ても飽きないお寺。誰にでも自信をもってお勧めできるお寺である。 【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音巡り(浄光明寺)

鎌倉33観音第25番札所浄光明寺

JR横須賀線鎌倉駅から徒歩15分内外の住宅地の一角にある。私の場合、自宅前から鎌倉駅行きのバス便を利用。「建長寺」で下車、亀ヶ谷坂切通を通り、横須賀線踏み切り手前を左折。小さな小川に沿ってしばらく歩いた後、商店を左折。ここから徒歩3~4分の左側に石柱あがり山門が見られる。


山門を入って境内に進むと、まず目に入るが大きな「タイサンボク」と
「菩提樹」(左の写真)。そのほか「ビヨウヤナギ」や「カシワデアジサイ」「マツツバキ」などの花が所狭しと咲いている。

「タイサンボク」の右脇を通った奥に不動堂(下の写真)。
「菩提樹」の左側には客殿(下の写真)があり、さらにその左側に庫裡と続いている。

客殿右側に沿って奥に伸びる石段を上がると柵が掛かっている。普段はここまでだが木曜・土曜・日曜並びに祝日のみ柵が取り払われる(但し、雨天及び8月は中止)。



正面に仏殿(阿弥陀堂:本堂)(右の写真)、左に収納庫、その奥に観音堂がある。拝観日には、仏殿(阿弥陀堂:本堂)は正面扉が開かれており三世仏(右から未来佛=弥勒如来、現在佛=釈迦如来、過去佛=阿弥陀如来)が拝観できる。

収納庫では、かって仏殿(阿弥陀堂:本堂)に安置されていたといわれる本尊阿弥陀如来及び観世音菩薩・勢至菩薩の三尊像が安置。目の前3㍍ほどの至近距離で拝観できる。(いずれも写真撮影禁止)

この収納庫前から裏山に登ると眼下に由比ガ浜が見え、その眺望はすばらしいの一言。また、ウグイスの澄んだ声がよく聞こえ、ふっと静かさを感じる。ただ、裏山の登る途中に植えられている桜などの木々は台風4号の影響(塩害)で葉が枯れて見るも無残な姿となっているのが残念。

裏山からの帰り道、仏殿(阿弥陀堂:本堂)前にそびえる「イヌマキ」
に見惚れる。鎌倉市指定天然記念物で推定樹齢750年余とのこと。





創建は建長3年(1251年)頃で、開山は真阿和尚(真聖国師)、開基は第5代執権北条時頼と第6代執権北条長時と伝えられる。特定の宗派に捉われない諸宗兼学の寺として盛時には数百人の僧がいたともいわれ鎌倉有数の大寺であったと聞かれる。皇室の菩提寺として知られる京都東山の泉涌寺の末寺として準別格本山の寺格が与えられている。

鎌倉歌壇の指導者として活躍した公卿冷泉為相の墓も当寺の裏山山上にある。

【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ   モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

2012年5月23日水曜日

鎌倉33観音札所巡り(向福寺)

鎌倉33観音第15番札所向福寺


JR鎌倉駅から若宮大路を滑川方面に行き、下馬四ツ角を左折。しばらくして大町交差点となる。この交差点を右折、線路を渡って直進することおよそ10分内外(大町交差点から)のバス停「五社神社」。このバス通りから10mほど入った住宅地の一画にある。

正面の門柱を入るとゼラニウムやジャーマンアイリス、バラなどが咲き誇り、そのほか小さな花々が可憐な花を咲かせている。特に、庭の一角にある木立ちのバラは奥様お薦めのバラで「素敵な匂いもあって一番好きな花木です」とおっしゃっていた。








一見してお寺らしくないお寺である。本堂と庫裏だけの佇まいながら静かで落ち着きがあるお寺。


伺った日は、法事のため拝観できず残念な思いをした。普段、本堂の扉は閉まっているが声をかければ仏様を拝観できるとのこと。機会をみて再びお伺いしご本尊を拝観したい。

寺史については明らかでないため創建時期や開基などはわからない模様。開山は一向上人と聞かれる。本尊は木造阿弥陀三尊像、脇侍に観音、勢至両菩薩が並んでおり、いずれも南北朝の作といわれている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

2012年5月10日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(千手院)

鎌倉観音第20番札所千手院

光明寺山門の左手路地を入ったところにある。もとは蓮乗院とともに光明寺の寺僧寮であった。また、専修念仏の道場として親しまれた時期もあったという。
境内には小さな花々が咲き誇っており一息つける静かなお寺である。

本堂脇の玄関で御朱印をお願い、併せて本尊への参拝を請うたが残念ながら昇殿は叶わなかった。

本尊は、阿弥陀如来坐像であるが千手観音菩薩立像(清水寺式)も安置されている。この千手観音が
人々に知られ、のちに千手院と改称されたようである。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

鎌倉33観音札所巡り(蓮乗院)

鎌倉観音第19番札所連乗院


光明寺山門を入ったところの右手にある同寺の塔頭の一つ。静かな佇まいの本堂に面してひっそりとした庭があり、草花が顔を見せている。

お寺に伺った日は、本堂でたまたま檀家の方が集まっていたため本尊にお参りできなかったが通常は本堂脇の玄関で御朱印をいただくときにお願いすればお参りできるとのこと。

本尊は、阿弥陀如来立像で正安元年(1299年)播磨法橋宗円との造仏銘が胎内に記されている由。脇侍は観音・勢至両菩薩と聞かれる。 また、仏像が安置されている内陣の格天井にはいろいろな動植物が描かれており一見の価値ありのため時間を見て再度お参りしたいお寺である。

創建ははっきりしないが光明寺よりは古い模様。初めは真言宗で蓮乗寺(その後、時期未詳で蓮乗院と改称)であったが光明寺建立に際し、落成までの間、記主禅師良忠上人がここに滞在したと伝えられている。これにより、光明寺の新住職が入山の折には一旦、この寺に入り、改めて光明寺方丈に向かう慣例は現在も継承されているそうです。

2012年5月5日土曜日

鎌倉33観音札所巡り(光明寺)



鎌倉観音第18番札所光明寺

小町大路のバス通りに出て海岸に向かって行くとまもなく大きな総門が現れる。開基は四代執権北条経時、その後も第五代執権北条時頼をはじめ歴代執権の帰依をうけ、関東における浄土宗総本山として念仏道場の中心となった。開山は然阿良忠(記主禅師)で、寺伝によれば北条経時が仁治元年(1240年)に鎌倉に入った良忠のために佐助ガ谷に蓮華時を建立。寛元元年(1243年)に材木座に移して光明寺と改めたという。


まず総門だが、四脚門は明応4年(1495年)建立のものを寛永年間の早い時期に再興したものという。禅宗様の古建築で、欄間の彫刻は龍と雲、貫の木鼻は渦巻文様である。境内は、正面に五間重層の鎌倉最大といわれる山門。弘化4年(1847年)再建で1階が和様、2階が禅宗様の二重楼門で開口が16mある。正面の本堂(大殿)(重文)は、元禄11年(1698年)に再建されたもので間口9間、奥行11間の大建築で鎌倉の古建築では最大規模の大堂である。


山門を入ると目の前には広々とした境内左右に大きな桜の木々が今を盛りに咲き誇っている。まさに見事な景観であった。


正面本堂(大殿)に昇殿。欄干の彫物に目を奪われる。本尊は木造阿弥陀三尊像。脇侍は観音・勢至菩薩を伴っている。ほかに如意輪観音坐像、善導大師立像、法然上人坐像などが安置されている。本堂の左に回ると記主庭園(夏には2千年蓮と言われえる大賀蓮が咲く)が隣接。また、本堂を右に回ると枯山水様式の石庭(三尊五祖の庭)がある。この廊下には長椅子が置かれており、ゆっくりと石庭が観賞できる。清々しい気持ちとなり時間が経つのを忘れる。

この石庭には八つの石が並んでいる。後ろには三石が並び、阿弥陀三尊を表わしており、前面の五つの石は釈迦、善導、法然、弁長、良忠の五人の高僧を表わしていると言われている。


光明寺縁起によれば、当山は皇室との関係も深く、後花園天皇から山門にある「天照山」の掲額を、後土御門天皇からは関東における念仏修行根本道場として「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平安を祈る「祈願所」となった由。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

2012年4月25日水曜日

鎌倉33観音札所巡り(補陀洛寺)

鎌倉観音第17番札所補陀洛寺


九品寺山門前の小町大路バス通りを右折、150mほど進んだ薬局手前の細い路地を入り、突き当たって左折ししばらく行くと左側に当寺の門柱が見える。門前には「源頼朝公後祈願所南向山補陀洛寺」と記された石標がある。


春、桜が咲き乱れるある日、訪問。境内は狭いながら手入れが行き届いている。山門を入ってすぐの木の下にベンチで一時、休憩。庭の花々を眺めながら心静かになるお寺である。

御朱印をいただく窓口の前には大きな甕があり、それぞれクロメダカ、シロメダカ、アオメダカが元 気よく泳いでいる。ご住職によれば「自然のままで、水の取替えもあまりしていない」と言うが青々としたミズゴケの中、気持ちよく泳いでいるメダカを見ていると世情の煩わしさが消えていく感じ。

開山は文覚、開基は源頼朝と伝えられる。頼朝が鎌倉に入った翌年の養和元年(1181年)に頼朝の祈願所として創建された。中興は鶴岡八幡宮供僧の仏乗坊頼基で、補陀洛寺鐘(現在、東慶寺所有)に記されている。 本尊は、木造十一面観音菩薩立像で、ほかに木造不動明王像、木造薬師三尊像などが安置されている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ しおり(寺伝)
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」

2012年4月20日金曜日

鎌倉33観音札所巡り(九品寺)

鎌倉観音第16番札所九品寺


鎌倉駅から小町大路を材木座海岸方向に直進すること徒歩でおよそ20分内外。「九品寺前」のバス停そばからすぐ右側で、やや奥まって山門がある。山門を入ってすぐにサクラ・ボケが迎えてくれる静かでこじんまりしたお寺である。

材木座海岸まで徒歩3分の場所で近くには大本山光明寺がある。 昇殿がかなわなかったが本堂正面のガラス戸越しに阿弥陀三尊像が見られる。

寺伝によれば、開基は新田義貞、開山は風航順西と伝えられている。元弘3年(1333年)5月義貞が鎌倉攻めで鎌倉幕府を滅ぼした後、戦死者の冥福を祈るために建立したと言われ、建武3年(1336年)の創建という。

「九品寺」という寺号は、浄土宗三部経のなかの阿弥陀仏が説法され九品来迎印(上品・中品・下品にぞれぞれ上生・中生・下生があり九品)があり、この九品が寺号となったとされている。

本尊は木造阿弥陀三尊像、阿弥陀如来(玉眼で宗元風彫刻を伝える仏像)は聖徳太子の作。山門も新田義貞は朝廷の勅を奉じ当地を内裏として陣営を設けたの「内裏山」とし、本堂の「九品寺」の額の文字も義貞の筆跡を写したもので、直筆は本堂に保存されている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ しおり(寺伝)
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)

2012年4月16日月曜日

鎌倉33観音札所巡り(来迎寺(材木座))



鎌倉観音第14番札所来迎寺(材木座)。

鎌倉駅から材木座方面に小町大路を行き、途中、水道路(「水道みち」と言われているおり、大正初期にできた横須賀軍港まで送水する海軍用水道で、今でも道の右側のところどころに、波型のマークの下「海」の字が記された低い石柱=海軍用水道を示す標柱がある)の四つ角を左折、ここから3分内外の旧道を入り、右折ししばらく行くと左側にある。駅からおよそ20分内外であろう。
寺伝によれば、建久5年(1194年)源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うため建立(当時:真言宗能蔵寺という)。その後、建武2年(1335年)音阿が時宗に改宗すると共に寺号を来迎寺にしたとのこと。開山は音阿となる。

住宅地の一角で、境内はやや狭い感じはするが静かな雰囲気を醸し出している。御朱印をお願いしたところ若い男性のお坊さんが応対。昇殿はできないが外から判る程度に扉を開けましょう・・・と言ってくださり、本尊の阿弥陀如来像についてご説明をしていただいた。親切な応対振りで気持ちよく辞去したことは言うまでもない。

本尊は三浦大介義明の守護仏と伝えられる木造阿弥陀三尊像。室町時代の作で、やや前かがみに立ち、両足は離れて二つの蓮台に別々に乗っている。なお、鎌倉33観音札所の霊場としての本尊は子育て観音といわれる聖観音像で本堂に安置されている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ しおり