2011年11月24日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(寿福寺)


鎌倉観音第24番札所寿福寺。

鎌倉観音第24番札所寿福寺は、JR横須賀線鎌倉駅から今大路を北鎌倉方面に徒歩10分内外の武蔵大路と交わる一画にあり、うっそうと茂る樹木に囲まれて建つ当寺は、さすが鎌倉五山第三位の風格あるお寺である。右隣は尼寺の英勝寺である。

参道両側には背の高い木々が建ち並んでいる。真ん中の一直線に伸びている石畳を進むと総門。その先には仏殿が見られるが中に入って拝観はできない(境内は国の史跡に指定)のが残念である。このため、中門から入り梅の古木、庭の花々などを眺めながら庫裏に行き、御朱印を書いていただく。

物殿前には市指定天然記念物となっている柏槇の古木が見られる。

住職のお話では、台風12号(風台風)の影響で雨が少なかったため葉っぱについた塩が
落ちず梅の古木やイチョウなどの葉が枯れてしまったとのこと。せっかくの庭の風情も今年から来春にかけては期待ができない模様。

仏殿は江戸時代の再建で、本尊は脱活乾漆造の宝冠釈迦如来坐像。籠で作って、その上に漆を塗った乾漆像であるため籠釈迦とも言われている。脇侍に文殊菩薩坐像・普賢菩薩坐像を従えている。


源頼朝が亡くなった翌年、正治2年(1200年)に北条政子が夫源頼朝と義朝の霊を弔うために創建。開山は日本にお茶を紹介した明庵栄西。また、栄西は鎌倉幕府の帰依を受けた最初の禅僧で、臨済禅を初めて我国に伝えたことでも有名。

裏の墓地には北条政子のその子源実朝の墓といわれるやぐら(中世の横穴墳墓)がある。
また、同墓地には俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎が眠っている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)

鎌倉33観音札所巡り(高徳院)




鎌倉観音第23番札所高徳院。

鎌倉観音第23番札所高徳院は、江ノ電長谷駅から山に向かって緩やかな登り道、左右にはお土産物店が軒を並べている道を徒歩10分内外行くと「鎌倉大佛」と書かれた大きな石柱がある。

道路左側には慶安4年(1651年)銘の石地蔵と四方仏を刻んだ笠塔婆三基の庚申塔。朱塗りの仁王門を入り、中門左脇の拝観者入口で200円を払って境内に入ると国宝の銅製大仏様が目に入る。びっくり・・・・。

ここ高徳院は「鎌倉大佛」で親しまれているお寺である。

「鎌倉大佛」の本名は「阿弥陀如来像」で鎌倉市内唯一の国宝に指定されている。
銅製阿弥陀如来坐像は、1252年(建長4年)から10年前後の歳月をかけて造立されたと言われている。制作には、僧浄光が勧進した浄財が当てられた模様だが原型作者も含め創建に係わる事情の多くは謎に包まれている。

尊像を収めていた仏殿は1334年(建武元年)と1369年(応安2年)の大風で損壊、以降、仏殿が再建されず今日に至っている。

因みに、台座を含む総高約13.4m、仏身高約11.3m、重量約121tの銅製。
親指と人差し指をつけ両手を組合せ膝の上に乗せている、所謂「上品上生」と呼ばれる印の結び方をされている。

境内の奥に行くと木々が茂り、大仏様おられる表側とはまったく違った趣である。観音堂(李子朝鮮の王宮内の月宮殿を移築したもの)や与謝野晶子の歌碑(「かまくらやみほとけなれば釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」)があり訪れる人も少なく静かな雰囲気を醸し出している。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
 ◆ 参拝券しおり

2011年11月10日木曜日

鎌倉33観音札所巡り(海蔵寺)




鎌倉観音第26番札所海蔵寺。

鎌倉観音第26番札所海蔵寺は、建長寺門前から見える「長寿寺」脇の亀ヶ谷坂切通を通り向け、「薬王院」「岩船地蔵尊」を右に見てJR横須賀線を渡り右折。ここからおよそ5分内外、扇ヶ谷の北、風光明媚な谷間にひっそりと佇んでいる。

正面の山門手前右に「底脱の井」という小さな井戸がある。この井戸は、金沢顕時の室、尼となり無著禅尼の号し仏光禅師に参禅。無著禅尼の悟り歌「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらじ」より名付けられたもので鎌倉十井の一つ(海蔵寺略縁記より)。

石段を昇ると山門、境内を入った正面に十一面観音像が祀られている本堂。周囲は緑に囲まれており静寂そのもの。庭にはあちこちに桔梗が咲き誇っている。少し前までは萩が咲いていたとのこと。

本堂右には天明5年(1785年)に建てられたといわれる庫裏。ここにも小さな花が咲き、訪れてくる人の目を楽しめてくれる。御朱印はここでいただく。

この寺には、境内南の隅の岩窟中にある鎌倉時代に掘られたと伝わる十六井戸があり、今でも水が湧いているとのこと。再び、海蔵寺略縁記によれば、窟の中央に石造りの観音菩薩像を祀り、その下方に弘法大師像を安置。井戸の名は窟底に径70㌢、深40~50㌢くらいの井戸十六穴がおのおの清冽な水をたたえているのに因んで「十六井戸」と呼ばれている。

当寺は文治4年(1188年)、足利義兼が創建。当時は「極楽寺」と称した。開山は退耕行勇律師で、密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然が4代住職となったのを機に臨済宗に改め、寺名も「浄妙寺」となった。寺名を改称したのは正嘉年間(1257年~1259年)とのこと。

本堂と庫裏の背後には禅宗風の庭園がある。禅寺で最も禅宗らしく感じられる庭園だと言われているが残念のことに中に入ることができなかった。

建長5年(1253年)宗尊親王の命によって従五位前能州大守藤原仲能が本願主となり、この地に七堂伽藍が再建された。しかし、元弘3年(1333年)鎌倉幕府滅亡の折に烏有に帰した後、応永元年(1394年)4月、鎌倉御所足利氏満の命により上杉氏定が源翁禅師(心昭空外)を開山に招いて再建。臨済宗建長寺派として今日に至っている。

本堂には十一面観音像、仏殿(薬師堂)には薬師三尊像が祀られている。
薬師如来像は別名「啼薬師」「児護(コモリ)薬師」とも言われている。胎内には土中から発掘されたという古い仏面を納めている。

【参考資料】
 ◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
    モンド・ビッグ社)
 ◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
 ◆ 海蔵寺略縁記