鎌倉33観音第27番札所妙高院
建長寺総門から入って山門の右側に高い石垣に囲まれた建物(現在、工事中)が妙高院である。本堂脇の庫裏のインターフォンで来意を告げて御朱印をいただく。檀家のための寺院で本堂に上がることもできず、玄関前でのお願いにとどまった。
当寺は、貞和2年(1346年)に没した建長寺第28世住持肯山聞悟の塔所となった。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
2012年10月31日水曜日
鎌倉33観音巡り(建長寺)
鎌倉33観音第28番札所建長寺
鎌倉五山第一位のお寺。
JR横須賀線北鎌倉駅から鶴ヶ岡八幡宮方向に、東慶寺、浄智寺、明月院の横を歩きながらおよそ15分。バス通りに面した一角に威風堂々たる総門が現れる。
当寺は建長5年(1253年)11月、執権北条時頼を開基とし中国から招いた蘭渓道隆を開山として創建されたもので我が国最初の禅宗専門道場である。
まず総門を入ってすぐが受付。そして参道を少し行くと三門(安永4年(1775年)再建の重層門。
三門とは三解脱門の略。楼上には釈迦如来坐像、銅造五百羅漢像が安置)となる。
ここから仏殿の間の敷石両側には開山蘭渓道隆(後、大覚禅師)お手植えの柏槙の古木がある。
創建当時から750余年、今日もなお他を圧倒する姿を見せている。
仏殿(本尊:地蔵菩薩坐像、台座を入れると約4.8mの巨像、法衣垂下の宋風彫刻像)
は寛永5年(1628年)に徳川二代将軍秀忠夫人の崇源院(お江の方)の霊廟として芝増上寺に建立されたものを正保4年(1647年)に移築されたもの。
仏殿の後ろには平成14年大修復された法堂(本尊:千手観音像、住持が説法する堂)が続いている。
大修復に際して法堂の天井に縦10m、横12mの水墨画「雲龍図」が加えられた。
また、平成24年7月には建長寺本山龍王殿に”龍王”図襖絵が奉納された。この龍図は北条時頼公750年忌を記念して水墨画家白波氏が描かれたものとのこと。
何回来ても飽きないお寺。誰にでも自信をもってお勧めできるお寺である。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤモンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
鎌倉33観音巡り(浄光明寺)
鎌倉33観音第25番札所浄光明寺
JR横須賀線鎌倉駅から徒歩15分内外の住宅地の一角にある。私の場合、自宅前から鎌倉駅行きのバス便を利用。「建長寺」で下車、亀ヶ谷坂切通を通り、横須賀線踏み切り手前を左折。小さな小川に沿ってしばらく歩いた後、商店を左折。ここから徒歩3~4分の左側に石柱あがり山門が見られる。
山門を入って境内に進むと、まず目に入るが大きな「タイサンボク」と「菩提樹」(左の写真)。そのほか「ビヨウヤナギ」や「カシワデアジサイ」「マツツバキ」などの花が所狭しと咲いている。
「タイサンボク」の右脇を通った奥に不動堂(下の写真)。「菩提樹」の左側には客殿(下の写真)があり、さらにその左側に庫裡と続いている。
客殿右側に沿って奥に伸びる石段を上がると柵が掛かっている。普段はここまでだが木曜・土曜・日曜並びに祝日のみ柵が取り払われる(但し、雨天及び8月は中止)。
正面に仏殿(阿弥陀堂:本堂)(右の写真)、左に収納庫、その奥に観音堂がある。拝観日には、仏殿(阿弥陀堂:本堂)は正面扉が開かれており三世仏(右から未来佛=弥勒如来、現在佛=釈迦如来、過去佛=阿弥陀如来)が拝観できる。
収納庫では、かって仏殿(阿弥陀堂:本堂)に安置されていたといわれる本尊阿弥陀如来及び観世音菩薩・勢至菩薩の三尊像が安置。目の前3㍍ほどの至近距離で拝観できる。(いずれも写真撮影禁止)
この収納庫前から裏山に登ると眼下に由比ガ浜が見え、その眺望はすばらしいの一言。また、ウグイスの澄んだ声がよく聞こえ、ふっと静かさを感じる。ただ、裏山の登る途中に植えられている桜などの木々は台風4号の影響(塩害)で葉が枯れて見るも無残な姿となっているのが残念。
裏山からの帰り道、仏殿(阿弥陀堂:本堂)前にそびえる「イヌマキ」 に見惚れる。鎌倉市指定天然記念物で推定樹齢750年余とのこと。
創建は建長3年(1251年)頃で、開山は真阿和尚(真聖国師)、開基は第5代執権北条時頼と第6代執権北条長時と伝えられる。特定の宗派に捉われない諸宗兼学の寺として盛時には数百人の僧がいたともいわれ鎌倉有数の大寺であったと聞かれる。皇室の菩提寺として知られる京都東山の泉涌寺の末寺として準別格本山の寺格が与えられている。
鎌倉歌壇の指導者として活躍した公卿冷泉為相の墓も当寺の裏山山上にある。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
JR横須賀線鎌倉駅から徒歩15分内外の住宅地の一角にある。私の場合、自宅前から鎌倉駅行きのバス便を利用。「建長寺」で下車、亀ヶ谷坂切通を通り、横須賀線踏み切り手前を左折。小さな小川に沿ってしばらく歩いた後、商店を左折。ここから徒歩3~4分の左側に石柱あがり山門が見られる。
山門を入って境内に進むと、まず目に入るが大きな「タイサンボク」と「菩提樹」(左の写真)。そのほか「ビヨウヤナギ」や「カシワデアジサイ」「マツツバキ」などの花が所狭しと咲いている。
「タイサンボク」の右脇を通った奥に不動堂(下の写真)。「菩提樹」の左側には客殿(下の写真)があり、さらにその左側に庫裡と続いている。
客殿右側に沿って奥に伸びる石段を上がると柵が掛かっている。普段はここまでだが木曜・土曜・日曜並びに祝日のみ柵が取り払われる(但し、雨天及び8月は中止)。
正面に仏殿(阿弥陀堂:本堂)(右の写真)、左に収納庫、その奥に観音堂がある。拝観日には、仏殿(阿弥陀堂:本堂)は正面扉が開かれており三世仏(右から未来佛=弥勒如来、現在佛=釈迦如来、過去佛=阿弥陀如来)が拝観できる。
収納庫では、かって仏殿(阿弥陀堂:本堂)に安置されていたといわれる本尊阿弥陀如来及び観世音菩薩・勢至菩薩の三尊像が安置。目の前3㍍ほどの至近距離で拝観できる。(いずれも写真撮影禁止)
この収納庫前から裏山に登ると眼下に由比ガ浜が見え、その眺望はすばらしいの一言。また、ウグイスの澄んだ声がよく聞こえ、ふっと静かさを感じる。ただ、裏山の登る途中に植えられている桜などの木々は台風4号の影響(塩害)で葉が枯れて見るも無残な姿となっているのが残念。
裏山からの帰り道、仏殿(阿弥陀堂:本堂)前にそびえる「イヌマキ」 に見惚れる。鎌倉市指定天然記念物で推定樹齢750年余とのこと。
創建は建長3年(1251年)頃で、開山は真阿和尚(真聖国師)、開基は第5代執権北条時頼と第6代執権北条長時と伝えられる。特定の宗派に捉われない諸宗兼学の寺として盛時には数百人の僧がいたともいわれ鎌倉有数の大寺であったと聞かれる。皇室の菩提寺として知られる京都東山の泉涌寺の末寺として準別格本山の寺格が与えられている。
鎌倉歌壇の指導者として活躍した公卿冷泉為相の墓も当寺の裏山山上にある。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 寺伝
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
2012年5月23日水曜日
鎌倉33観音札所巡り(向福寺)
鎌倉33観音第15番札所向福寺
JR鎌倉駅から若宮大路を滑川方面に行き、下馬四ツ角を左折。しばらくして大町交差点となる。この交差点を右折、線路を渡って直進することおよそ10分内外(大町交差点から)のバス停「五社神社」。このバス通りから10mほど入った住宅地の一画にある。
正面の門柱を入るとゼラニウムやジャーマンアイリス、バラなどが咲き誇り、そのほか小さな花々が可憐な花を咲かせている。特に、庭の一角にある木立ちのバラは奥様お薦めのバラで「素敵な匂いもあって一番好きな花木です」とおっしゃっていた。
一見してお寺らしくないお寺である。本堂と庫裏だけの佇まいながら静かで落ち着きがあるお寺。
伺った日は、法事のため拝観できず残念な思いをした。普段、本堂の扉は閉まっているが声をかければ仏様を拝観できるとのこと。機会をみて再びお伺いしご本尊を拝観したい。
寺史については明らかでないため創建時期や開基などはわからない模様。開山は一向上人と聞かれる。本尊は木造阿弥陀三尊像、脇侍に観音、勢至両菩薩が並んでおり、いずれも南北朝の作といわれている。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
JR鎌倉駅から若宮大路を滑川方面に行き、下馬四ツ角を左折。しばらくして大町交差点となる。この交差点を右折、線路を渡って直進することおよそ10分内外(大町交差点から)のバス停「五社神社」。このバス通りから10mほど入った住宅地の一画にある。
正面の門柱を入るとゼラニウムやジャーマンアイリス、バラなどが咲き誇り、そのほか小さな花々が可憐な花を咲かせている。特に、庭の一角にある木立ちのバラは奥様お薦めのバラで「素敵な匂いもあって一番好きな花木です」とおっしゃっていた。
一見してお寺らしくないお寺である。本堂と庫裏だけの佇まいながら静かで落ち着きがあるお寺。
伺った日は、法事のため拝観できず残念な思いをした。普段、本堂の扉は閉まっているが声をかければ仏様を拝観できるとのこと。機会をみて再びお伺いしご本尊を拝観したい。
寺史については明らかでないため創建時期や開基などはわからない模様。開山は一向上人と聞かれる。本尊は木造阿弥陀三尊像、脇侍に観音、勢至両菩薩が並んでおり、いずれも南北朝の作といわれている。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
2012年5月10日木曜日
鎌倉33観音札所巡り(千手院)
鎌倉観音第20番札所千手院
光明寺山門の左手路地を入ったところにある。もとは蓮乗院とともに光明寺の寺僧寮であった。また、専修念仏の道場として親しまれた時期もあったという。 境内には小さな花々が咲き誇っており一息つける静かなお寺である。
本堂脇の玄関で御朱印をお願い、併せて本尊への参拝を請うたが残念ながら昇殿は叶わなかった。
本尊は、阿弥陀如来坐像であるが千手観音菩薩立像(清水寺式)も安置されている。この千手観音が 人々に知られ、のちに千手院と改称されたようである。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
光明寺山門の左手路地を入ったところにある。もとは蓮乗院とともに光明寺の寺僧寮であった。また、専修念仏の道場として親しまれた時期もあったという。 境内には小さな花々が咲き誇っており一息つける静かなお寺である。
本堂脇の玄関で御朱印をお願い、併せて本尊への参拝を請うたが残念ながら昇殿は叶わなかった。
本尊は、阿弥陀如来坐像であるが千手観音菩薩立像(清水寺式)も安置されている。この千手観音が 人々に知られ、のちに千手院と改称されたようである。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
鎌倉33観音札所巡り(蓮乗院)
鎌倉観音第19番札所連乗院
光明寺山門を入ったところの右手にある同寺の塔頭の一つ。静かな佇まいの本堂に面してひっそりとした庭があり、草花が顔を見せている。
お寺に伺った日は、本堂でたまたま檀家の方が集まっていたため本尊にお参りできなかったが通常は本堂脇の玄関で御朱印をいただくときにお願いすればお参りできるとのこと。
本尊は、阿弥陀如来立像で正安元年(1299年)播磨法橋宗円との造仏銘が胎内に記されている由。脇侍は観音・勢至両菩薩と聞かれる。 また、仏像が安置されている内陣の格天井にはいろいろな動植物が描かれており一見の価値ありのため時間を見て再度お参りしたいお寺である。
創建ははっきりしないが光明寺よりは古い模様。初めは真言宗で蓮乗寺(その後、時期未詳で蓮乗院と改称)であったが光明寺建立に際し、落成までの間、記主禅師良忠上人がここに滞在したと伝えられている。これにより、光明寺の新住職が入山の折には一旦、この寺に入り、改めて光明寺方丈に向かう慣例は現在も継承されているそうです。
光明寺山門を入ったところの右手にある同寺の塔頭の一つ。静かな佇まいの本堂に面してひっそりとした庭があり、草花が顔を見せている。
お寺に伺った日は、本堂でたまたま檀家の方が集まっていたため本尊にお参りできなかったが通常は本堂脇の玄関で御朱印をいただくときにお願いすればお参りできるとのこと。
本尊は、阿弥陀如来立像で正安元年(1299年)播磨法橋宗円との造仏銘が胎内に記されている由。脇侍は観音・勢至両菩薩と聞かれる。 また、仏像が安置されている内陣の格天井にはいろいろな動植物が描かれており一見の価値ありのため時間を見て再度お参りしたいお寺である。
創建ははっきりしないが光明寺よりは古い模様。初めは真言宗で蓮乗寺(その後、時期未詳で蓮乗院と改称)であったが光明寺建立に際し、落成までの間、記主禅師良忠上人がここに滞在したと伝えられている。これにより、光明寺の新住職が入山の折には一旦、この寺に入り、改めて光明寺方丈に向かう慣例は現在も継承されているそうです。
2012年5月5日土曜日
鎌倉33観音札所巡り(光明寺)
鎌倉観音第18番札所光明寺
小町大路のバス通りに出て海岸に向かって行くとまもなく大きな総門が現れる。開基は四代執権北条経時、その後も第五代執権北条時頼をはじめ歴代執権の帰依をうけ、関東における浄土宗総本山として念仏道場の中心となった。開山は然阿良忠(記主禅師)で、寺伝によれば北条経時が仁治元年(1240年)に鎌倉に入った良忠のために佐助ガ谷に蓮華時を建立。寛元元年(1243年)に材木座に移して光明寺と改めたという。
まず総門だが、四脚門は明応4年(1495年)建立のものを寛永年間の早い時期に再興したものという。禅宗様の古建築で、欄間の彫刻は龍と雲、貫の木鼻は渦巻文様である。境内は、正面に五間重層の鎌倉最大といわれる山門。弘化4年(1847年)再建で1階が和様、2階が禅宗様の二重楼門で開口が16mある。正面の本堂(大殿)(重文)は、元禄11年(1698年)に再建されたもので間口9間、奥行11間の大建築で鎌倉の古建築では最大規模の大堂である。
山門を入ると目の前には広々とした境内左右に大きな桜の木々が今を盛りに咲き誇っている。まさに見事な景観であった。
正面本堂(大殿)に昇殿。欄干の彫物に目を奪われる。本尊は木造阿弥陀三尊像。脇侍は観音・勢至菩薩を伴っている。ほかに如意輪観音坐像、善導大師立像、法然上人坐像などが安置されている。本堂の左に回ると記主庭園(夏には2千年蓮と言われえる大賀蓮が咲く)が隣接。また、本堂を右に回ると枯山水様式の石庭(三尊五祖の庭)がある。この廊下には長椅子が置かれており、ゆっくりと石庭が観賞できる。清々しい気持ちとなり時間が経つのを忘れる。
この石庭には八つの石が並んでいる。後ろには三石が並び、阿弥陀三尊を表わしており、前面の五つの石は釈迦、善導、法然、弁長、良忠の五人の高僧を表わしていると言われている。
光明寺縁起によれば、当山は皇室との関係も深く、後花園天皇から山門にある「天照山」の掲額を、後土御門天皇からは関東における念仏修行根本道場として「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平安を祈る「祈願所」となった由。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
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