鎌倉33観音第15番札所向福寺
JR鎌倉駅から若宮大路を滑川方面に行き、下馬四ツ角を左折。しばらくして大町交差点となる。この交差点を右折、線路を渡って直進することおよそ10分内外(大町交差点から)のバス停「五社神社」。このバス通りから10mほど入った住宅地の一画にある。
正面の門柱を入るとゼラニウムやジャーマンアイリス、バラなどが咲き誇り、そのほか小さな花々が可憐な花を咲かせている。特に、庭の一角にある木立ちのバラは奥様お薦めのバラで「素敵な匂いもあって一番好きな花木です」とおっしゃっていた。
一見してお寺らしくないお寺である。本堂と庫裏だけの佇まいながら静かで落ち着きがあるお寺。
伺った日は、法事のため拝観できず残念な思いをした。普段、本堂の扉は閉まっているが声をかければ仏様を拝観できるとのこと。機会をみて再びお伺いしご本尊を拝観したい。
寺史については明らかでないため創建時期や開基などはわからない模様。開山は一向上人と聞かれる。本尊は木造阿弥陀三尊像、脇侍に観音、勢至両菩薩が並んでおり、いずれも南北朝の作といわれている。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
2012年5月23日水曜日
2012年5月10日木曜日
鎌倉33観音札所巡り(千手院)
鎌倉観音第20番札所千手院
光明寺山門の左手路地を入ったところにある。もとは蓮乗院とともに光明寺の寺僧寮であった。また、専修念仏の道場として親しまれた時期もあったという。 境内には小さな花々が咲き誇っており一息つける静かなお寺である。
本堂脇の玄関で御朱印をお願い、併せて本尊への参拝を請うたが残念ながら昇殿は叶わなかった。
本尊は、阿弥陀如来坐像であるが千手観音菩薩立像(清水寺式)も安置されている。この千手観音が 人々に知られ、のちに千手院と改称されたようである。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
光明寺山門の左手路地を入ったところにある。もとは蓮乗院とともに光明寺の寺僧寮であった。また、専修念仏の道場として親しまれた時期もあったという。 境内には小さな花々が咲き誇っており一息つける静かなお寺である。
本堂脇の玄関で御朱印をお願い、併せて本尊への参拝を請うたが残念ながら昇殿は叶わなかった。
本尊は、阿弥陀如来坐像であるが千手観音菩薩立像(清水寺式)も安置されている。この千手観音が 人々に知られ、のちに千手院と改称されたようである。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
鎌倉33観音札所巡り(蓮乗院)
鎌倉観音第19番札所連乗院
光明寺山門を入ったところの右手にある同寺の塔頭の一つ。静かな佇まいの本堂に面してひっそりとした庭があり、草花が顔を見せている。
お寺に伺った日は、本堂でたまたま檀家の方が集まっていたため本尊にお参りできなかったが通常は本堂脇の玄関で御朱印をいただくときにお願いすればお参りできるとのこと。
本尊は、阿弥陀如来立像で正安元年(1299年)播磨法橋宗円との造仏銘が胎内に記されている由。脇侍は観音・勢至両菩薩と聞かれる。 また、仏像が安置されている内陣の格天井にはいろいろな動植物が描かれており一見の価値ありのため時間を見て再度お参りしたいお寺である。
創建ははっきりしないが光明寺よりは古い模様。初めは真言宗で蓮乗寺(その後、時期未詳で蓮乗院と改称)であったが光明寺建立に際し、落成までの間、記主禅師良忠上人がここに滞在したと伝えられている。これにより、光明寺の新住職が入山の折には一旦、この寺に入り、改めて光明寺方丈に向かう慣例は現在も継承されているそうです。
光明寺山門を入ったところの右手にある同寺の塔頭の一つ。静かな佇まいの本堂に面してひっそりとした庭があり、草花が顔を見せている。
お寺に伺った日は、本堂でたまたま檀家の方が集まっていたため本尊にお参りできなかったが通常は本堂脇の玄関で御朱印をいただくときにお願いすればお参りできるとのこと。
本尊は、阿弥陀如来立像で正安元年(1299年)播磨法橋宗円との造仏銘が胎内に記されている由。脇侍は観音・勢至両菩薩と聞かれる。 また、仏像が安置されている内陣の格天井にはいろいろな動植物が描かれており一見の価値ありのため時間を見て再度お参りしたいお寺である。
創建ははっきりしないが光明寺よりは古い模様。初めは真言宗で蓮乗寺(その後、時期未詳で蓮乗院と改称)であったが光明寺建立に際し、落成までの間、記主禅師良忠上人がここに滞在したと伝えられている。これにより、光明寺の新住職が入山の折には一旦、この寺に入り、改めて光明寺方丈に向かう慣例は現在も継承されているそうです。
2012年5月5日土曜日
鎌倉33観音札所巡り(光明寺)
鎌倉観音第18番札所光明寺
小町大路のバス通りに出て海岸に向かって行くとまもなく大きな総門が現れる。開基は四代執権北条経時、その後も第五代執権北条時頼をはじめ歴代執権の帰依をうけ、関東における浄土宗総本山として念仏道場の中心となった。開山は然阿良忠(記主禅師)で、寺伝によれば北条経時が仁治元年(1240年)に鎌倉に入った良忠のために佐助ガ谷に蓮華時を建立。寛元元年(1243年)に材木座に移して光明寺と改めたという。
まず総門だが、四脚門は明応4年(1495年)建立のものを寛永年間の早い時期に再興したものという。禅宗様の古建築で、欄間の彫刻は龍と雲、貫の木鼻は渦巻文様である。境内は、正面に五間重層の鎌倉最大といわれる山門。弘化4年(1847年)再建で1階が和様、2階が禅宗様の二重楼門で開口が16mある。正面の本堂(大殿)(重文)は、元禄11年(1698年)に再建されたもので間口9間、奥行11間の大建築で鎌倉の古建築では最大規模の大堂である。
山門を入ると目の前には広々とした境内左右に大きな桜の木々が今を盛りに咲き誇っている。まさに見事な景観であった。
正面本堂(大殿)に昇殿。欄干の彫物に目を奪われる。本尊は木造阿弥陀三尊像。脇侍は観音・勢至菩薩を伴っている。ほかに如意輪観音坐像、善導大師立像、法然上人坐像などが安置されている。本堂の左に回ると記主庭園(夏には2千年蓮と言われえる大賀蓮が咲く)が隣接。また、本堂を右に回ると枯山水様式の石庭(三尊五祖の庭)がある。この廊下には長椅子が置かれており、ゆっくりと石庭が観賞できる。清々しい気持ちとなり時間が経つのを忘れる。
この石庭には八つの石が並んでいる。後ろには三石が並び、阿弥陀三尊を表わしており、前面の五つの石は釈迦、善導、法然、弁長、良忠の五人の高僧を表わしていると言われている。
光明寺縁起によれば、当山は皇室との関係も深く、後花園天皇から山門にある「天照山」の掲額を、後土御門天皇からは関東における念仏修行根本道場として「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平安を祈る「祈願所」となった由。
【参考資料】
◆ 「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」(著者:「地球の歩き方」編集室、発行所:ダイヤ
モンド・ビッグ社)
◆ 「鎌倉謎とき散歩」(著者:湯本和夫、発行所:廣済堂出版)
◆ 「鎌倉史跡散策」(著者:神谷道倫著、発行所:かまくら春秋社発行)
◆ 光明寺縁起
リンク先:「セカンドライフ男の集い(港南)」
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